幸せな最終回、Happy Ending

Happy Ending 全曲解説 その11


『Happy Ending』

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アルバム『Happy Ending』全曲解説も、今回が最終回です。

ごあいさつは最終章で…。

ちょっとだけ長くなりそうなので、さっそく始めます!


第1章 「Happy Ending」 

第2章 「幸せな結末」

第3章  青い空の下で

第4章  恋するナイアガラ


PCでの閲覧で、YouTubeの曲を最後まで聴いて画角が右ズレして左端の文字が欠けたときは、お手数ですがブログの再読み込みをお願いします



第1章 「Happy Ending」


ラストの曲、「Happy Ending」について、まずは整理したいと思います。


「Happy Ending」に似ている曲は、「幸せな結末」のソングブック・バージョンと、「ナイアガラ慕情」です。

このうち、「ナイアガラ慕情」は、他の2曲とは完全に別録りでキーも違うことを「ナイアガラ慕情とナイアガラー慕情」の回 で確認しました。


では、「Happy Ending」と「幸せな結末」のソングブック・バージョンでは、どこが違うのでしょうか?


これら2曲はキーもテンポも同じで、基本的な編曲も同じです。

曲長は「Happy Ending」のほうが2秒ほど長いです。


違いで一番分かりやすいのは、チェンバロの有無です。


「幸せな結末」のソングブック・バージョンでは、イントロやエンディングさらに曲の途中でもチェンバロが演奏されています。

おそらく、ストリングスや木管楽器とは別録りで、後からオーバーダビングしたのでしょう。

他方、「Happy Ending」ではチェンバロは鳴っていません。


チェンバロの有無という違いはあるにせよ、「幸せな結末」のソングブック・バージョンと「Happy Ending」の“プロローグ”は共通のものです。

曲の頭で約57秒奏でられる雰囲気満点なプロローグは、井上鑑氏の力作です。


問題はその後です。

ここで、皆さん、ナイアガラ・フォール・オブ・サウンド・オーケストラルの指揮者になって、タクトを振っていただきたいのです。


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まず、「幸せな結末」のソングブック・バージョンでは、“57秒のプロローグ”と「♪ 髪をほどいたー」の旋律が始まる間に、1小節あります。

タクトを振ると、4拍とれます(2拍目の途中まで休符です)。

この1小節で、ティンパニーのロールとストリングスの駆けあがりとシンバルが鳴り、仰々しく盛り上がります。


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その一方、「Happy Ending」では、“57秒のプロローグ”の後ろに「4分の2拍子」の「1小節」が挿入され、それに続いて「♪ 髪をほどいたー」のメロディの前に「ジャン、ジャーン」という演奏が「2小節」挟まれています。

タクトを振る場合は、“57秒のプロローグ”の後、「イチ、ニ」と数えながら…、間髪を入れず4拍が2回分振れます。

そのため、「Happy Ending」のほうが、2秒長くなっているのですね。

「Happy Ending」の「♪ 髪をほどいたー」のところから、クラリネット&フルートがリードを取っていますが、なんだか主旋律であるような、ないような、中途半端な印象です。

なぜならば、ここで本来、主旋律を演奏していたはずのストリングスをオフってあるからです。

クラリネット&フルートが演奏しているのは、対旋律やハモりのメロディなのですね。


「幸せな結末」のソングブック・バージョンのほうの「♪ 髪をほどいたー」以降のところを耳を澄まして聴いてみてください。

華やかなストリングスに隠れて、クラリネット&フルートがまさに「Happy Ending」と同じメロディを地味に演奏していることに気付くでしょう。


こうして、「Happy Ending」と「幸せな結末」のソングブック・バージョンという、微妙に異なる2つのバージョンが並存していることが判明しました。

では、その経緯は如何に?

可能性としては低いのかもしれませんが、“57秒のプロローグ”と「♪髪をほどいたー」の間の部分だけ、構成とアレンジを変えた上で、各々を通しで演奏したのかもしれません。

ありがちなのは、以下のようなパターンでしょうか。

最初は「ジャン、ジャーン」2小節入りで、かつ、「♪ 髪をほどいたー」からすぐにストリングスが主旋律を奏でるという、“両者のミックス・バージョン”でレコーディングされた。

ドラマの演出上の都合でドドーンと盛り上げるバージョンが最終回で必要になり、後から「ティンパニー、ストリングスの駆けあがり、シンバル」の1小節を追加録音して、つないで編集した。

「幸せな結末」のソングブック・バージョンが登場するのは、30秒から。


片や、「Happy Ending」のほうは徐々に盛り上げるバージョンにするため、「♪ 髪をほどいたー」の部分のストリングスはオフったのかもしれません。

この「Happy Ending」は、ドラマの第6話で使用されました(動画の36分50秒のところから曲が忍び入ります)。




第2章 「幸せな結末」


大滝詠一さんが「幸せな結末」(1997年)を作るにあたって大きく影響を受けたのが、映画『マディソン郡の橋』だったのだと思います。

『マディソン郡の橋』は、アイオワ州の片田舎で出会った平凡な主婦と中年のカメラマンの4日間の恋を描く、1995年の恋愛映画です。

恋愛の舞台だった1965年から時を経て、クリント・イーストウッドが演じるカメラマンの遺品から『永遠の4日間』という写真集が見つかり、そこから物語が過去へと展開していきます。


1997年秋期の月9ドラマは当初、田村正和と松たか子の主演で『じんべえ』が企画されていました。

大滝さんにしてみれば、もともと、『マディソン郡の橋』を観て感動の余韻に浸っていたところに、“中年の純愛風味”がテーマの『じんべえ』の主題歌の依頼が来たわけです。

大滝さんの構想では、主題歌のモチーフとして、『マディソン郡の橋』で流れるバーバラ・ルイスの「Baby I'm Yours」(1965年)に白羽の矢が立ったのでしょう。

その後、田村正和の降板でドラマは『ラブ ジェネレーション』へと企画変更されましたが、主題歌のプランはそのまま形になっていきました。

しかし、初期の筋立てと食い違いが生じたことから、大滝さんの作詞作業は困難を極めたのかもしれません。


映画では、1965年に遡ったシーンの冒頭で、ラジオから流れるランキングの10位がシャングリラスで、9位がバーバラ・ルイスの「Baby I'm Yours」だったのです。

この曲は、バートランド・バーンズの手によるオーケストラ・サウンドが特徴的です。

彼は、大滝さんの大好きなリーバー&ストーラーの後継者として1960年代、フィル・スペクターに匹敵する存在感を示していました。


大滝さんは「幸せな結末」のイントロで、バーバラ・ルイスの「Baby I'm Yours」の前奏のコード進行を引用しています。

FのコードからDm(ディーマイナー)ではなくD(ディーメジャー)へ進むところが非常に特徴的です。


また、大滝さんは「幸せな結末」のエンディングでも、バーバラ・ルイスの「Baby I'm Yours」を裏返しにして「♪ Baby you're mine 」と4回繰り返して歌いあげています。

「♪ Baby you're mine 」が4回なのは、まさに『マディソン郡の橋』で描かれる『永遠の4日間』の恋をイメージしてのことだったのでしょう。


1997月12月13日放送の「LOVE LOVE あいしてる」では、「幸せな結末」を松たか子が披露しました。

この時は、前出の動画、バーバラ・ルイスの「Baby I'm Yours」の41秒~のコーラスのフレーズが、そのままなぞって歌われていました。

この動画の「♪ 今夜君は僕のもの 」のリフレインの後、2分5秒~で聞けます。


全曲解説の「“今夜君は僕のもの”へ至る壮大なナイアガラ・サイド物語」の回 で記したとおり、主題歌のオケが完成済みだったところに「幸せな結末」という概念やタイトルを持ち込んだのは、作詞の共同作業をした永山耕三氏でした。

ですから、完全に後付けですが、結果として、「幸せな結末」で「♪ Baby you're mine 」と4回繰り返すところでは、はっぴいえんどのメンバー4人への想いを込めて歌えることになったと言えます。

1回目の「♪ Baby you're mine 」は細野さんかなぁ…とか、3回目でこぶしを回すのは大滝さんかなぁ…とか、そんなふうに考えるのもまた面白いものです。


はっぴいえんど といえば…。

5月の4週目にJFN系列で放送された『武部聡志のSESSIONS』という番組で、デビュー50周年の大滝詠一さんについて特集が組まれました。
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番組の冒頭で武部さんは、 「'70年代のはっぴいえんどから現代に至るまで多くのミュージシャンに影響を与え続けています」と大滝さんのことを紹介していました。

まさにその通りで、大滝さんが偉大なのは後世に影響を与え続けているところです。


「幸せな結末」のリリースからちょうど20年後の2017年11月に、AKB48の50作目のシングルとして発売された「11月のアンクレット」で、「幸せな結末」のイントロが引用されたのです。

曲中で鳴り響くカスタネットも心地良いですね。


その前年からは、ダイハツ・ムーヴキャンバスのCMソングとして、稲垣潤一の歌う「夕焼けは、君のキャンバス」がお茶の間に流れるようになりました。

この曲のイントロは「幸せな結末」の前奏のギターソロのイメージになっており、曲全体も思いっきりナイアガラを意識して作られたのだそうです。

「夕焼けは、君のキャンバス」収録のアルバム『HARVEST』には、 「匠の名曲、ダンスが終わる前に」の回 に登場した平井夏美さん作曲の「週末のStranger…」も入っていて、これがまた超名曲なのです。
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第3章 青い空の下で


CMソング といえば…。


前回の 「別れの手紙、So Long」の回 では、「空のように」から連なる全9曲の ナイアガラ・黄金のコード進行 の曲 についてふれました。

1980年代には、この“ナイアガラ的なコード進行を使ったナイアガラっぽいCMソング”が制作されました。

CMの青い海や青い空の映像が、印象的だったものです。

1987年には尾崎紀世彦が歌った「サマー・ラブ」が作られました。

作・編曲は井上大輔さん、弦編曲などで前田憲男さんも参加しています。


1989年には、同じ路線で杉田二郎の歌う「サマーソング for you」が作られました。

作・編曲は馬飼野康二さん。ストリングス・アレンジは、なんと、Jimmie Haskell。

ジミー・ハスケル(Jimmie Haskell)は、なんといっても サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」 のストリング・アレンジメントが有名です。

そのジミー・ハスケルと大滝さんとの関わりの逸話が…。

朝妻一郎さんが2017年に 『大瀧詠一から亡くなる前に依頼されたこと』 というコラムを執筆していました。

同コラムによれば、大滝さんは亡くなる少し前に『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝』の資料集めのため、ジミー・ハスケルに連絡を取ってほしい、と朝妻さんへ依頼していたのですね。

『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝』を完遂できなかった大滝さんの無念さを思うと…、言葉がありません。

前述のラジオ番組『武部聡志のSESSIONS』に電話出演した松任谷正隆さんも、大滝さんについて、こう話していました。

「ポップスの図書館みたいな人。頭の中にこのポップスは誰がどうこう…みたいな、全部活字みたいな感じでインプットされているから。」



空のように」といえば…。


「 恋するふたり について知っている2、3の事柄 」 の回 では、「青空のように」のコード進行を使っている「恋するふたり」と、ボビー・ヴィントンの「ブルー・ヴェルヴェット」や「ブルー・オン・ブルー 」などの曲との関わりについて記しました。

ボビー・ヴィントンは、タイトルにブルーがつく曲ばかりを集めてアルバムを出しているほど、ブルーに縁があります。
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「 恋するふたり について知っている2、3の事柄 」 の回 には、大滝さん自身が歌う「ブルー・ヴェルヴェット」の動画も追加掲載しておきましたので、あらためてご覧ください。


ボビー・ヴィントンの「ブルー・ヴェルヴェット」の次のシングルが、「ブルー・ファイア(There! I've Said It Again)」(1963年)であり、1964年1月のビルボード・チャートで1位を記録しています。

この「ブルー・ファイア」の直後に、チャートで7週間1位になったのがビートルズの「抱きしめたい」でした。

つまり、この時を境にして、王道のアメリカン・ポップスからブリティッシュ・インベイジョンの時代へと突入していったのです。

(「ブリティッシュ・インベイジョン」については、 ナイアガラ夜話の「ハートじかけのオレンジとビートルズ」の回 をご参照ください。)

まさに『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝』や『大瀧詠一のブリティッシュ・ポップス伝』に必出の曲が、ボビー・ヴィントンの「ブルー・ファイア(There! I've Said It Again)」だというわけです。

では、最後までお聴きください。

そうなのです…。

これ、大滝さんの「ナイアガラ慕情」なのです。

カバーではありません。

ちょっと似過ぎていますが…(笑)。

この曲は1941年に作られ、終戦の年に一度ヒット。

その後、 ナット・キング・コールのカバー(1947年) や、 サム・クックのカバー(1959年) がある他、ジュリー・ロンドンなど数多くの歌手に歌われているスタンダード曲です。

大滝さんは、スタンダード・ナンバーをカバーしてNo.1ヒットに仕立てたボビー・ヴィントンのバージョンを下敷きにして、「ナイアガラ慕情」を作ったわけです。


スタンダード曲の名カバーを下敷きにして名曲を作るという実践例は、ナイアガラで他にもあります。

「 FUN×4 」がそれです。

「弦とスキャットの謎に 迷探偵れんたろう が迫る」の回 で、「夢で逢えたら」の下敷きソング、「ぼくのパパ(My Dad)」を歌っていたポール・ピーターセンの「月光と水玉( Polka Dots and Moonbeams )」が、「 FUN×4 」の下敷きソングの一つなのです。
再生ボタン押下後、「この動画はYouTubeでご覧ください」をクリックして、“YouTube画面”でご覧になった後、また戻ってきてください(笑)

「月光と水玉」は、もともとはジャズ・オーケストラの専属シンガーだったフランク・シナトラが歌うために作られた曲です。

名曲であるが故に数えきれないくらいのジャズ・トリオ、ジャズ・コンボ、ビッグバンド・ジャズによってカバーされました。

大滝さんはその中でも、極上のポップスに仕立てたポール・ピーターセンのバージョンを引用したわけです。


名曲はカバーされても名曲で、上手くトリートメントすれば何度でもヒットする…。

1960年代のヒット曲として知られるポップスの名曲も、そのルーツとなる名曲が1940~50年代に存在する…。

このあたりのことを大滝さんは意識していたのではないでしょうか。


「君は天然色」にも、それは当てはまりそうです。

「君は天然色」の下敷きソングといえば、以下の2曲が有名です。

ピクシーズ・スリーの「コールド・コールド・ウィンター」 (1964年)

ゲイリー・ルイス&プレイボーイズの「涙のクラウン」 (1965年)

このパターンの曲はもう少し遡ると、ジョー・スタッフォードの「霧のロンドン・ブリッジ( On The London Bridge )」(1956年)に辿り着くのだと思います。


「霧のロンドン・ブリッジ」は、ソングライター・チームのティッパー&ベネット(Tepper-Bennett)によるスタンダード曲です。

彼らはエルヴィス・プレスリーに数十曲提供しているメイン・ライターでもあり、大滝さんからすれば、どストライクな作家といえるでしょう。

「霧のロンドン・ブリッジ」のカバーは世界中で数知れません。

日本でも、広田三枝子、美空ひばり、江利チエミ、伊東ゆかり、水前寺清子など多くの歌手に歌われています。

大滝さんが「君は天然色」の原曲を、女性シンガーの須藤薫へ提供しようとしたのも、こんな流れを思い浮かべれば合点がいきます。

また、「君は天然色」の元ネタはゲイリー・ルイス&プレイボーイズだろう、という単純すぎる指摘を大滝さんが常に否定していたことにも納得できます。


ブルーじゃなくて、エバーグリーン…。

時を経ても色あせない名曲を、大滝さんは自ら実践して私たちに示してくれたのですね。

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第4章 恋するナイアガラ


前回の「別れの手紙、So Long」の回 で記したように、大滝さんがゲスト出演した2011年4月放送の「元春レディオショー」を聞いて、印象深かったもう一つの大滝さんの発言は、「リトル・リチャードのシャウトをポール・マッカートニーが受け継いでいる」というものでした。

私は、ハッとしたのです。

この番組を聴く数日前に、リトル・リチャード急逝の報道があったばかりでした。

その訃報を受けて、新聞の1面に載った コラム がこれでした。

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私のアイドルのそのアイドルのそのまたアイドルを辿ると、そこにリトル・リチャードがいました。


振り返れば、私のナイアガラサウンド研究は、アイドルのアイドルを探す旅のようなものでした。


ふと、気付くとルーツ・オブ・ルーツに辿り着いていることもありました。


それでも、私のアイドル、大滝詠一さんの頭の中の1割、いや1%も覗けなかったような気がします。


さて…。


今回、『Happy Ending』全曲解説も皆さまのご支持のもと、無事に最終回を迎えることができました。

ほんとうにありがとうございます。


実は私、大滝詠一さんが亡くなった後、すっかり音楽から離れていました。

SNSで紹介される曲をネットで聴いたり、カーステレオでさらっと聴く程度でした。

『Happy Ending』全曲解説を始めてからというもの、大滝さんと同じCDプレーヤーの前に鎮座し、SONYの高級ヘッドフォン(笑)を装着して、久々に真剣に音楽を聴いてしまいました。

それを11週間続けたので、正直、ちょっと疲れました。

ウインター・スポーツ・シーズンの早期終了、在宅勤務、巣ごもり…。

こんな特殊事情がなければ連載は続けられなかったかもしれないと思うと、ちょっと複雑な心境でもあり…。


全回を読破してくださった皆さま、心より感謝申し上げます。

またいつかお目に、イヤ、お耳にかかるその日まで、So Long !

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別れの手紙、So Long

Happy Ending 全曲解説 その10


『 So Long 』


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PCでの閲覧で、YouTubeの曲を最後まで聴いて画角が右ズレして左端の文字が欠けたときは、お手数ですがブログの再読み込みをお願いします



全曲解説も、次回でいよいよ最終回を迎えます。

これまでの物語の伏線を回収しながら大団円に向かいますが、行く手に立ちはだかるのは、謎多き新曲「So Long 」です。


よって、今回の目次も謎とともに…。


第1章 小野小福の謎

第2章 So Long 誕生の謎

第3章 墓前に青空




第1章 小野小福の謎


前回の「ダンスが終わる前に」の解説の中で、私が2011年4月放送の「元春レディオショー」を聞き逃したと記したところ、この連載をご覧になっている方から、即座に救いの手がさしのべられました。

MRSの内容はすべて興味深いものでしたが、特に印象深かった大滝詠一さんの発言が二点ありました。

一点は最終回でふれるとして、もう一点は次のようなものでした。

はっぴいえんど結成直前の1969年に細野、大滝、松本の3人でドライブの旅に出た。
  その時の思い出を彼(松本)は『1969年のドラッグレース』に書いた。
 『イーチタイム』の時には15年経っていたが、まだ終わりじゃないっていうようなことを、彼(松本)は言いたかったんじゃないですか。
   僕は終わるつもりだったんですけどね(苦笑)


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一方、今年の4月末に発行された「平凡'85 Special 僕らの80年代」には、「1969年のドラッグレース」の歌詞に関わる記事がありました。

インタビューで松本隆氏が、「1969年のドラッグレース」について「 別れの手紙だと大滝さんもわかって歌っているんだ 」と述べていたのです。

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なにやら、別れた恋人同士が、

こっちが先にフッたんだ

いやこっちこそとっくに別れるつもりだったんだ

と昔を振り返っているように見えてしまいます。


思うに、発端はその昔の「ガラスの入江」事件。

松本隆氏が雑誌の取材で、「ガラスの入江」(作曲:大瀧詠一)などの曲についてコメントする際、松田聖子の「天国のキッス」(細野晴臣さん作曲)を絶賛する一方で、「大滝さんのメロディは抑揚がなくてどれも全部同じ曲に聞こえる。自分の歌詞が乗ることで初めて区別がつくようになる」という旨の発言をしたのです。

敢えて載せなくてもいいくだりを編集者がそのまま掲載し、さらに曲名を「ガラスの林檎」と間違えていました。


一方、大滝さんは、凡庸と感じた「フィヨルドの少女」の歌詞や、詰めが甘いと感じた「Bachelor Girl」の歌詞に対し不満があったのかもしれません。

お互いが過小評価しあう時期があったのでしょう。


そんなこんなも踏まえつつ…。


まずは、当ブログの初回、 大滝詠一さんの新曲「So Long」の秘密 を、もう一度ご覧になってみてください。


「So Long」の歌詞は、市川実和子の「22才のMellow」の歌詞と完全に一致…と思いきや、1カ所だけ次のように書き換えられています。

消えない足跡見つけたら(22才のMellow)
 「変わらぬ何かがあるはずよ(So Long)


変わらぬ何か」って何なのか…。



しかし、ここで立ち止まって考えている暇はないので、先を急ぎます。



「22才のMellow」の一人称は「」で、二人称はなぜか「あなた」でなく「」です。

歌詞を読んでみても、若い男女の恋愛というよりは、性別を超越した慕情や友情のようなものがテーマなのだろうか、と思えてしまいます。


しかし、「So Long」で「変わらぬ何かがあるはずよ」と歌詞を書き換えた人は、一人称の主人公が使う言葉を、明確な女性ことばに書き換えてしまうという、致命的なミスを犯しています。


その経緯としては、こんなケースが考えられるかもしれません。

メインとサブ、ふたりの作詞者が共作で歌詞を完成させたが、後になって、サブ作詞者は独自に強調したいメッセージを盛り込みたくなって一部を改変。

その際、うっかり女性ことばの歌詞にしてしまった…。


そもそも、「22才のMellow」すなわち「So Long」の作詞者、小野小福って誰なのでしょうか?

市川実和子のアルバム『PINUP GIRL』(1999年)の全10曲の歌詞を、大滝さんが一人で手掛けることは、到底考えられません。

小野小福って小野小町(おののこまち)とかけているんでしょうか。

だとしたら、女性なのでしょうか。


『PINUP GIRL』の曲の全歌詞は、結構ハイセンスな言葉選びがなされています。

しかし、前述の経緯からして、松本隆氏が関わっている可能性は低いような気がします。


その一方で、「So Long」の歌詞を読んでいると、別れた盟友へ再会を呼びかけているような…、そんな風にも思えてくるのです。


ただ、その再会は、複雑な思いが交錯するのか、照れ隠しなのか、笑顔でハッピー・エンディングという訳にもいかないのでしょう。

「So Long」のラスト、3分23秒~を聴くと、「♪ 優しく微笑みあおうね 」のくだりで、「♪ ほほえみ 」の箇所だけが、聞こえないくらい小さなボリュームで歌われているんです。

思えば、「So Long」って、「じゃあ、またね」とか「さよなら」っていう別れのあいさつなんですよね。



第2章 So Long 誕生の謎


「So Long」は、アルバム『PINUP GIRL』に収録の「雨のマルセイユ」と構成、コード進行、テンポ、曲長ともすべて同じです。

決定的な違いは、キーが半音で4つ違うところです。


この2曲の出自について、市川実和子の「雨のマルセイユ」の完成版がまず存在して、それと全てがそっくりな姉妹曲「So Long」のオケが、大滝さん用に別途レコーディングされた、というストーリーは考えにくいものです。

必然性がないからです。


想像するに、制作上なんらかの困りごとがあって、次善の策として、いや苦肉の策として、「雨のマルセイユ」と「So Long」との両曲が存在することになったのではないでしょうか。


れんたろう探偵( * 弦とスキャットの謎の回 参照)が推理した、あまりにも大胆なストーリーをここでご紹介しましょう。

物語の主人公は、大瀧詠一さんです。

  1. ◆まず、市川実和子のアルバム用に「雨のマルセイユ」の曲と歌詞を大まかに作った。…1.
  2. ◆リズム・セッションをレコーディング。この時、 Eb (イーフラット)のキーで録音した。…2.
  3. ◆追加のパーカッションやストリングスもオーバーダビングした。…3.
  4. ◆歌メロを最終的にフィックスして、市川実和子のボーカルを録音しようとしたら、キーが高すぎた。…4.
  5. ◆熟慮の結果、キーを下げたオケを最初からレコーディングし直すのは回避する、という決断を下した。…5.
  6. ◆前述 3. で完成していたオケを使いつつ、なおかつ、市川実和子の音域で歌えるような、新たな歌メロを作曲し、意味深な歌詞も同時に書き上げ、めでたく「So Long」に転生させた。…6.
  7. ◆しかし、「雨のマルセイユ」は歌詞もメロディも出来がよく、お蔵入りはもったいないと考え出した。…7.
  8. ◆大胆にも、ピッチシフト・プラグインを駆使して、録音済みのオケを移調しようと目論んだ。…8.
  9. ◆半音で2つくらいキーを下げればよいかと思ったら問題が生じ、ならば上げればよい、と半音で4つ上げて G のキーに移調した。…9.
  10. ◆機械的に移調したため、音質が多少犠牲になったが、思いっきりエコーをかけてごまかし…いや、ソフトな雰囲気で包み込んだ。カスタネットなどはオフった。このオケに市川実和子のボーカルをダビングした。…10.
  11. ◆前述 10. が一般に知られる「雨のマルセイユ」である。前述 9.半音で4つ上げる、は半音で8つ下げる と同意。半音で8つ、すなわち全音で4つキーを下げた ため、市川実和子のボーカルはとてつもなく低音キーになっている。…11.
  12. ◆あとに残ったのは、「So Long」の歌詞とメロディ。もったいないので、「22才のMellow」というタイトルにして、平松愛理さんに作曲を依頼した。…12.
  13. ◆前述 3. でせっかく素晴らしいストリングス・アレンジを得ておきながら、前述 10. の深いエコーによってシュワシュワで不鮮明な音にしてしまった。これを悔やんで自分でも前述 3.のクリアな音のオケで歌ってみた。この時に歌詞の一部を改変した。これが、「So Long」である。…13.
  14. ◆女性キー(「オリーブの午后」と同じEb)で低すぎるかと思ったが、歌ってみると意外にイケる、と実感。…14.
  15. ◆これが、 全曲解説の「恋するふたり」の回 で述べたように、自らの歌声の低音の魅力にあらためて気付く契機になった。…15.
  16. ◆後に「So Long」のメロディが、「恋するふたり」(2003年)のメロディの3分の1として再活用された。…16.
  17. ◆「恋するふたり」とメロディが“かぶる”し、平松愛理さんにも失礼にあたるので、今日まで「So Long」が発表されることはなかった。…17.


若干の補足説明を加えます。

上記 1.で「雨のマルセイユ」の方が「So Long」よりも先だったという推理の根拠について…。

「So Long」は、「♪ 優しく微笑みあおうね 」の「 あおうねー 」のリフレインで、少し“無理くり感”が感じられるからです。


上記 4.で、ボーカル録音のタイミングまでキーが合わないことに気付かないことなんてことがあるのか? という疑問について…。

「雨のマルセイユ」は名曲であるが故に、最初、「オリーブの午后」のように男女でデュエットできるキー(Eb)に設定したと思われます。

市川実和子のジャストなキーに設定すればリスクはなかったのでしょうが、大滝さんとの二人のちょうど真ん中あたりにキーを設定した結果、市川実和子にとっては上の方の音が苦しくなったのでしょう。

そもそもオケのレコーディングに際して、大滝さんはその段階でも歌メロをフィックスしていないことが多いのです。

それゆえに、上記4.のような事例が起きるのでしょう。

松田聖子の「いちご畑でつかまえて」でも、いざボーカルを録音しようとしたらキーが高すぎて、もともとはコーラスとして3度下でハモるはずだった旋律を、そのまま主旋律にしてしまったという、大滝さんならではの逸話があります。

そのあたりの事情を裏付ける資料に当たってみましょう。

前出の「僕らの80年代」では、松田聖子のプロデューサーを務めた若松宗雄さんへのワクワクするインタビューが掲載されています。
若松氏いわく「風立ちぬ」のオケの録音時に、大滝さんはメロディーをフィックスしていなかったと…。
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「 Happy Endで始めよう(バカラック Ver.)」の回 に登場したエンジニア・内藤哲也氏は、市川実和子の『PINUP GIRL』ではリズム・セッション録りを担当しました。

サウンド&レコーディング・マガジン誌上で、内藤哲也氏によって明かされたその時の裏事情は…。

ナイアガラは“オケ先”で、大滝さんがスタジオに入る時にはメロディは全然できていないのだと…。
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まさに、「So Long」制作の現場に居合わせたエンジニアとしての驚きの吐露のようでもあります。


上記 9. で、なぜ単純にキーを少し下げなかったのか?という疑問について…。

理由は二つ考えられます。

一つは、ピッチシフト・プラグインやPRO TOOLS本体の機能では、オケのキーを下げるよりも上げた方が、音質の望まぬ変化が少なかったのではないか、ということです。

もう一つは、オケのキーを下げると、アレンジや演奏の関係上、弦楽器やベースギターの発音域を超えて下がってしまい、実在しない不自然な音が鳴るケースだったかもしれない、ということです。
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上記 10.で、機械的に上げ下げするなんて上手くいくのか? オケを録り直したのではないか?という疑問について…。

たしかに、れんたろう探偵の推理は、一見“あまりにも大胆なストーリー”でしょう。

かつて「君は天然色」でサビをEのキーからDのキーへ下げたときは、ハーモナイザーを使いました。

たとえば単音のギターのフレーズに3度上のハモりを重ねたいときにハーモナイザーをかませると、自動的にハモりの旋律を生成して鳴らしてくれるわけです。

ただし、『A LONG VACATION 30th Edition』収録の「君は天然色 (Original Basic Track)」を聴くとわかるように、当時、オケを丸ごとハーモナイザーに通したとき、その音質の変化は顕著でした。

しかし、20年の間に音楽制作環境は激変し、1999年頃はDAW環境が進化。PRO TOOLS は24Mix Plus になった時代でした。

その当時、オケのうち音階のあるパートを個別に、あるいはまとめて移調させても、エコーを深くかければ、ギリギリ市販に耐え得る品質だったと思います。

ちなみに、現代のピッチシフト・プラグインを使えば、テンポを変えずにキーを上下させるのはお手の物ですし、タイムストレッチ・プラグインを使えば、ピッチを変えずにテンポを変化させることができます。

ご興味のある方は、 動画つきの製品紹介のサイト でその性能をご確認ください。


さて、「So Long」と「雨のマルセイユ」とを2曲並べて、DAWソフト上に配した画像をお借りしたので、ご覧ください。(ナイアガラ・ファンの五月女さん提供)
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「ラストダンスはヘイジュード」ならぬ「雨のマルセイユでSo Long」を作ろうとされたのですが、この2曲は、曲の頭からお尻までテンポがずれることなくぴったりシンクロしていたとのことです。

それを知って、れんたろう探偵の 自信が確信に変わりました(笑)。



第3章 墓前に青空


「So Long」の歌い出しで聴かれる「ナイアガラ・黄金のコード進行」の楽曲はこれまで、8曲ありました。


これについては、当ブログの本館サイト「れんたろうの名曲納戸」の「ナイアガラ夜話」のコーナーを、いま一度ご参照ください。

青空のように」から連なるナイアガラ史で、「So Long」は、制作順でいえば、「恋するふたり」と「雨のマルセイユ」の間に位置づけられることになります。

大滝さんは、「青空のように」のパターンで何曲もつくったという旨の話をされていました。


C /Em /Am /Em 」という4小節が注目されがちですが、それに続く4小節と合わせて8小節で一つの流れになっています。

この8小節の流れの源流にあるのが、PPMの「パフ」かもしれません。

パフの出だしは「C /Em /Fm /C 」ですが続く4小節の流れは同じです。


「パフ」といえば、「スピーチ・バルーン」のほうが、より影響を受けているようです。

「♪ Puff,the magic dragon 」の「 puff 」とは、龍の一吹き、転じて漫画のふきだし

松本隆氏は、「スピーチ・バルーン」のメロディ入りデモテープを受け取って、大滝さんからの具体的なオーダーを聞くことなく、この曲は「パフ」の影響を受けていると見抜き、スピーチ・バルーン(漫画のふきだし)という詞の世界に仕上げました。


「恋の汽車ポッポ」も同様で、大滝さんからの指示がなくても、松本隆氏は曲の雰囲気が「ロコモーション(蒸気機関)」の影響を受けていると感じ取り、このタイトルを付けて作詞しました。



そう考えてみると、「ガラス壜の中の船」もまたしかり、なのでしょう。




「ガラスの入江」では「♪ あの日彼のバイクの 後に乗って 」の一文で「 Bad Girl 」(ニール・セダカ)を象徴しています。

これらは、松本隆氏が非凡であるがゆえというよりも、もともとミュージシャンで大滝さんと同じ音楽世界観を共有しているからこそ、なし得るのだと思います。

松本隆氏は大滝さんにとって欠くべからざる共作者だった、と言えるのかもしれません。



さて、再び、「青空のように」へ話を戻して…。

お墓ポータルサイトの「いいお墓」で、なんと、大滝さんのお墓が紹介されていましたので、以下のリンク先をご覧になってみてください。
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墓石に刻まれた楽譜は、「青空のように」なのです。

もしかして生前、大滝さんは、お墓は「青空のように」がいいなあ、なんて話されていたのでしょうか…。

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今回、小野小福の謎も、「So Long」誕生の謎も、真相解明には至りませんでした。

こんな時には、大滝さんのことば「 迷った時には墓参りだよ 」を思い出します。

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でも、富士見霊園で大滝さんに尋ねてみても、返ってくる返事は、きっと「あとは各自で」。


ならば、私が大滝さんにかける言葉は、ただ「ありがとう」と「 So Long 」…。


そして、大滝さん、墓前で一節、口ずさんでもいいですか?


♪ 空のように さわかやかな気分に

   させてくれる ほほえみ なげておくれ



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匠の名曲、ダンスが終わる前に

Happy Ending 全曲解説 その9


『ダンスが終わる前に』


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PCでの閲覧で、YouTubeの曲を最後まで聴いて画角が右ズレして左端の文字が欠けたときは、お手数ですがブログの再読み込みをお願いします


「幸せな結末(Album Ver.)」と同じコンセプトで制作されたのが、“Happy Ending バージョン”の「ダンスが終わる前に」です。


大滝詠一さんは、渡辺満里奈へ提供したバージョンのオケから、チェンバロ、タンバリンとウインドチャイム、ストリングスのみを抜き出し、ご本人のボーカルをフィーチャーして、スペシャルミックスに仕上げています。


このスペシャルミックスは、“渡辺満里奈バージョン”のようなリバーブ・タイムの長いエコーはかかっていないので、両バージョンでオケの印象が異なって聞こえますが、ストリングスなども後年、新たにレコーディングしたものではありません。


ただ、両バージョンでは曲の長さが15秒、異なります。


渡辺満里奈バージョン(演奏時間: 2分36秒 )でオルガンがリードを担っていた、イントロ2小節 (演奏時間: 約3秒 )間奏6小節 (演奏時間: 約12秒 )の部分が、Happy Ending バージョン では大胆にカットされています


Happy Ending バージョン(演奏時間: 2分21秒 )の間奏のつなぎは極めて自然なので、12秒分の間奏のカットに気付かずに聞き流している方もいらっしゃるかもしれません。

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渡辺満里奈バージョンと大滝さんの歌う Happy Endingバージョン とをDAWソフトで重ねてみると、二人の歌い回しが驚くほどぴったりと重なります。

若干ずれているのは、「♪ ときめいたー そのままで眠りたい」の「そ」に入るタイミングと、「♪ 悩ましげなヘルター・スケルター」の「ルター」の巻き舌の2カ所くらいなのです。

おそらく、 Happy Endingバージョン の大滝さんのボーカル・トラックをガイドボーカルにして、渡辺満里奈は歌を徹底的に練習したのでしょう。

つまり、「ダンスが終わる前に」の “Happy Ending バージョン”に限って言えば、大滝さんがボーカルを録音したのは、この曲が1996年に市販されるよりも前だったということになります。

佐野元春さんのオフィシャル・サイトの1995年の項を見ると、このあたりの詳細は次のようであったことが分かります。


「ダンスが終わる前に」のリズム・セッションのレコーディングは、1995年8月31日、信濃町のソニースタジオで行われました。

編曲は、大瀧さん(多羅尾伴内 名義)です。

当日、シナソに表敬訪問していた佐野元春さんは、“ガイド用のボーカル”を録音する際に、「佐野くん、歌ってみない?」と大滝さんに言われたというのです。

声をかけられた佐野元春さんは、快く引き受けブースに入ったそう…。


きっと、大滝さんのボーカルのラインに佐野元春さんのハモりが重ねられたりしたレアトラックが、存在するのでしょう。


「ダンスが終わる前に」を収録した渡辺満里奈のアルバム『リング・ア・ベル』が発売されたのは、1996年3月21日。

佐野元春さんは、その少し後に「ダンスが終わる前に」をセルフ・カバーしています。


佐野元春バージョン”は、1996年5月22日リリースのシングル「ヤア! ソウルボーイ」にカップリング曲として採録されました。


最初に 佐野元春バージョン を聴いたときは、渡辺満里奈バージョン とかなりイメージが異なるのに驚き、ピンと来なかったのですが、なぜかイントロに惹かれたのです。

皆さまも、ぜひここで 佐野元春バージョン をお聴きください。


このイントロを初めて聞いて、知っているはずもないのに知っているような親近感を覚えたのです

たぶん、次の2曲に相通じるものを感じたのだと思います。


一つは、大滝さんの(ナイアガラ・カレンダーじゃないほうの)「五月雨」のイントロ。

もう一つは、シュガー・ベイブの「 Down Town 」のイントロ。


実は、佐野元春バージョン でギターを弾いているのは、村松邦男さんです。

もしかしたら、佐野元春さんから村松さんにギターの音色や弾き方についても具体的なお願いがあったのかもしれません。

ギターリストが同じですから「 Down Town 」との相似性は合点がいくとして、佐野元春さんは「五月雨」に何か思いいれがあるのだろうか?と検索してみたら、驚きの結果が…。



シュガーベイブ: DOWN TOWN
大滝詠一: 五月雨(シングル・バージョン)

というふうに、この2曲を続けてかけていたのです。

しかも、この週と翌週は「大瀧詠一を迎えて」となっています。

大滝さんをゲストに迎えての元春レイディオショーなんて、最高ですね。

ここでどんなトークが交わされたのでしょうか。(私、聞き逃しています。ぜひ、聴いてみたい…)


さて、佐野元春さんは、どのような思いを込めて「ダンスが終わる前に」を作ったのでしょうか。


大滝さんと音楽を共同制作するのは、1981年の「A面で恋をして」、そして1982年の『 NIAGARA TRIANGLE Vol.2 』以来13年ぶり。

『 NIAGARA TRIANGLE Vol.2 』のときは、杉真理さんを加えた3人の共通項がリバプール・サウンドでした。

『 NIAGARA TRIANGLE Vol.2 』は、各々がビートルズ・イディオムを多様に表現したアルバムとも言えました。


この頃に大滝さんがプロデュースした怪作が「ラストダンスはヘイジュード」(1981年)です。

歌うは、ザ・キングトーンズ 。

まずは、彼らのアルバム「 Doo-Wop STATION 」からの音源でお聴きください。

DJのマーク・ヘイゲンの声質が大滝さんに似ていて、また泣けるのです。


ポール・マッカートニーが「ラストダンスは私に」を聴きながら「ヘイ・ジュード」を作曲した、という余話に大滝さんが着想を得て、二曲を一曲にまとめてしまったのです。

「ラストダンスは私に( Save the Last Dance for Me)」(1960年)は、ザ・ドリフターズの大ヒット曲ですが、日本人にもなじみの深い曲ですね。

メンバーのベン・E・キングは、ちょうど1960年にドリフターズを脱退してソロに転向しています。


この“ビートルズ”を前面に打ち出した「ラストダンスはヘイジュード」での大滝さんの実践が、「ダンスが終わる前に」を生み出した佐野元春さんにとって、ヒントになっていると思うのです。

お手元に『リング・ア・ベル』を用意して、渡辺満里奈バージョンの「ダンスが終わる前に」を聴いてみてください。

イントロの2小節(出だしの3秒間)、そして間奏の6小節(1分16秒1分28秒)は、まさに「♪ So darlin',save the last dance for me 」という「ラストダンスは私に」のメロディを奏でているのです。

(今回の Happy Endingバージョン では、ちょうどその部分がカットされていますが…)




佐野元春さんは、「ダンスが終わる前に」の曲作りでナイアガラ楽曲の常套手段(笑)であるところの、クリシェ的なコード進行も使っています。

ルート音は同じでトップノートが階段状に上下するというパターンの進行ですね。

Happy Endingバージョン の「ダンスが終わる前に」では、曲頭から8秒までのところが該当します。

曲中でも度々このキャッチーなクリシェのフレーズが登場しています。


クリシェにもいろんなパターンがありますが、作曲家のヘレン・ミラーが好んで使ったパターン、すなわち、「カナリア諸島にて」や「風立ちぬ」のパターンが、「ダンスが終わる前に」では使われています。


では、ヘレン・ミラーの手掛けた曲を3曲続けてお聴きください。

お時間のない方は、イントロから歌いだしのあたりだけを聴いていただいても構いません。

ナイアガラ・ファンが聴くと、全部「カナリア諸島にて」に聞こえるかもしれませんが、それは気のせいです(笑)








「ダンスが終わる前に」の作曲術について、さらに見ていくと…。

 赤いドレスに  

   シャンパングラス

    ステキな恋が

     始まりそうな夜

と1小節ごとに旋律のシュテム(幹)の音階が上がっていきます。


その後に続く、2小節のキメフレーズ「♪ ダンスが終わるまーえにー」で、その前の5小節の展開を回収するキャッチーな作りになっています。

この“ 2小節のキメフレーズでその前のコード展開を回収する ”という作りは、翌1997年の「幸せな結末」にも影響を与えていると思います。

そう、「♪ 今夜 君は僕のもの」というキメフレーズですね。


特に、Happy Endingバージョン の「ダンスが終わる前に」のエンディングで、

「♪ ダーンスがお わーるま~えにー ンーン~ン~(ン~ン~まで含めるのがミソです)

と大滝さんが気持ちよく歌っているところは、「幸せな結末」のエンディングで「♪ 今夜 君は僕のもの」と2回リフレインした後に、

「♪ こんや君はー ぼーくのもーの~~

と歌いあげていくところに通じるものがあります。


ちなみに、前述の“ 1小節ごとに旋律のシュテム(幹)が上がっていく ”イメージの元は何だろうか、と考えてみました。

ドリフターズやベン・E・キングと同じく、ルーツ・オブ・ザ・ビートルズで、かつ、ルーツ・オブ・元春であるバディ・ホリーの曲が思い浮かびました。

コード進行こそ完全には一致しませんが、想起される2曲、「 Crying Waiting Hoping 」と「 Raining In My Heart 」 をお聴きください。

前者は映画『ラ★バンバ』のサウンドトラックのカッコいいカバー。

後者には例のクリシェも登場します。





ここまで縷々、「ダンスが終わる前に」の曲作りについて述べてきました。


女性歌手へのナイアガラ・ワークスの中でも、「ダンスが終わる前に」は、松田聖子の「一千一秒物語」と並び、ナイアガラ・ファンから人気の高い曲です。

その人気の理由を挙げれば、きりがありません…。

キャッチーなメロディ、覚えやすいAABA形式の曲構成、メリハリの効いたキメフレーズ、もうちょっと聴きたいと思う絶妙な曲長などなど…。

「ダンスが終わる前に」は、匠の名曲なのです。


佐野元春さんから提供された名曲に、大滝さんは名編曲とナイスサウンドで応えました。

1990年代の後期は、ナイアガラ・サウンドの絶頂期でもありました。

1994年にダブル・オーレコードが設立され、大滝さんは取締役に就任。

1995年の年明けとともに日曜のお茶の間に「うれしい予感」が流れました。

翌2月に「うれしい予感」が発売されるときには、「ナイアガラ宣言」なるものが発表され、お祭り騒ぎの中、大滝さんの音楽活動再開が世にアピールされたものです。

大滝さん本人の音楽活動のみならず、晴れ晴れとナイアガラ・プロデュース時代が始まった…はずでした。


渡辺満里奈の「うれしい予感」のイントロでは、華々しくチューブラーベルが鳴り響きました。

その旋律は、まるで「プリーズ・プリーズ・ミー」。

そう、ビートルズ初のオリジナル・アルバムの表題曲です。

今からナイアガラで何かが始まる…、そんな“うれしい予感”を告げる曲でした。

前々回の全曲解説で、「うれしい予感」の間奏のハーモニカに大滝さんが執拗にこだわったエピソードを紹介しました。
それは、きっと、どうしても「プリーズ・プリーズ・ミー」のハーモニカのイメージが欲しかったのでしょう。


翌年の1996年3月21日、ナイアガラ記念日に、満を持して渡辺満里奈のアルバムが、ダブル・オーレコードのYoo-Looレーベルから発売されました。

タイトルは『 Ring-a-Bell 』…、うれしい予感のイントロで華々しく鳴ったベルの波動を感じさせるはずでした。

「うれしい予感」のアルバム・バージョンは、もはやナイアガラ・サウンドの最高到達点に。

スペクター・サウンドでいうところの「River Deep ~ Mountain High」状態で、音の壁とエコーが存分に堪能できました。

「ダンスが終わる前に」も「あなたから遠くへ」(編曲:多羅尾伴内)も練りに練られたアレンジとエコーの具合が絶妙で、大滝さんとしても自信作であったはずです。

その自信は、『リング・ア・ベル』でのクレジットにも表れていて、「探偵物語」「Tシャツに口紅」「幸せな結末」のように「編曲:井上鑑」とはせずに、アレンジャー名義は多羅尾伴内やCHELSEAと明確にクレジット。

井上鑑氏はストリングス担当とされていました。


しかし…。

ムーブメントは起きませんでした。

大滝さんの神通力は、J-POP真っ只中の当時の日本の歌謡界には浸透しなかったのです。

打ち上げられた“予感”の花火が夜空に大輪の花を咲かせるには、もう少しその先の“結末”を待たなくてはなりませんでした。


'80年代のようなナイアガラ・ブームが再燃しなかったせいなのか、シングル「うれしい予感」からアルバム『リング・ア・ベル』までは、1年以上のブランクがあります。

もしかしたら「ダンスが終わる前に」は、「うれしい予感」に続くシングルとして企画、制作されたのかもしれません。

「ダンスが終わる前に」のカップリング曲は「約束の場所まで」。

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この曲には編曲やコーラスで杉真理さんも参加しています。

作曲は、平井夏美こと川原伸司さん。

松田聖子のシングル「風立ちぬ」のB面曲「Romance」の作曲を手掛けたのも平井夏美こと川原伸司さんでした。

大滝さんは、ヒットよ再び! という願を懸けたのかもしれません。

「リング・ア・ベル」のブックレットでも、なぜかこの2曲だけが密接して掲載されていて、このページは、さながらナイアガラ・トライアングルの再結集のようです。


「約束の場所まで」の“約束の場所”って、どこなのか…。


松田聖子のアルバム『風立ちぬ』のとき、ホントなら大滝さんは「ナイアガラ・トライアングル2」の3人で曲を提供しあって完成させたかったはずなのです。

その夢はかなわなかったけど、今ここで…。


そう思って、「約束の場所まで」の歌詞をもう一度、読み返すと…。

ナイアガラ・トライアングルの3人が走り抜けた、1981年から十数年間の道程を描いているようです。

ちょうど「1969年のドラッグレース」で描かれる、はっぴいえんどのメンバーのそれのように…。


♪ 変わらない約束だけでいいの ダンスが終わる前に


そんな深い余韻に浸るのにうってつけなのが、Happy Ending バージョン の大滝さんの歌声と弦の調べなのでしょう。


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弦とスキャットの謎に 迷探偵れんたろう が迫る

Happy Ending 全曲解説 その7&8


『ガラスの入江』『Dream Boy』


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PCでの閲覧で、YouTubeの曲を最後まで聴いて画角が右ズレして左端の文字が欠けたときは、お手数ですがブログの再読み込みをお願いします


『Happy Ending』の収録曲で、予想を大きく覆したのは、今回取り上げる2曲です。

「ガラスの入江」も「Dream Boy」も、松田聖子やアン・ルイスの既発バージョンのバックトラックに大滝さんのボーカルがダビングされているのだろうと予想していました。

ところが実際は、意外にもソングブック・バージョンだったのです。

しかも、なぜか大滝詠一さんのスキャット入りで。

まずは、両曲のおさらいから…。


■ガラスの入江


「ガラスの入江」は、このブログの本宅サイト「れんたろうの名曲納戸」で2003年3月21日に取り上げています。

ナイアガラサウンド研究会「 #01 ガラスの入江のゆらめき 」のコーナーを、まずはご覧ください(読み終わったら、ここへ帰ってきてくださいね)。


では、上記をふまえ、「ガラスの入江」の曲展開の下敷きソングになった、ニール・セダカの「悲しいあの娘(Bad Girl)」(1963年)をお聴きください。




■Dream Boy


大滝さんがアン・ルイスのために書いたもののレコーディングに至らなかった「夢で逢えたら」が、後に彼女のアルバム『Cheek II』に英語詞の「 Dreams 」として収録されることになりました。

この時、大滝さんは、「 Dreams 」のアンサーソングとも言える「 Dream Boy 」を新たに書き下ろしています。

曲の構成はやや異なりますが、「 Dreams 」と「 Dream Boy 」のコード進行は基本的に同じで、サビで両曲が同時に歌えるというシャレた作りになっています。

今回の『Happy Ending』の「 Dream Boy 」で、大滝さんのスキャットが曲の終盤に登場すると、それが実感できます。

『Cheek II』では、前田憲男さんの編曲のせいか、2曲ともちょっと落ち着いた大人の雰囲気が感じられるものです。

トリル奏法を多用した弦アレンジは、後の「熱き心に」のストリングスを予見しているかのようです。



前述の“構成がやや異なる”や“コード進行は基本的に同じ”(=つまりちょっと違う)に該当するのは、「夢で逢えたら」でいうところの

「♪ あなたは私から 遠く離れているけど~

の箇所ですね。

この部分の下敷きソングは、ポール・ピーターセンの「ぼくのパパ(My Dad)」(1962年)です。

ポール・ピーターセンは、ティーンエイジ・トライアングルの一員でした。

作曲は、 『Happy Ending』全曲解説その1 にも登場した、あのバリー・マンです。

音楽は24秒からですので、歌の冒頭部分をお聞き逃しなく。




レコーディング時期の推理


『 NIAGARA SONG BOOK 2 』(1984年)がリリースされる前の時期に、「ガラスの入江」と「Tシャツに口紅」が収録されると事前告知されていました。

ところが、いざ蓋を開けてみるとその2曲は収録されていなかったのです。

順当に考えれば、今回の「ガラスの入江」は『 NIAGARA SONG BOOK 2 』用にレコーディングされながら、大滝さん本人の曲ではなく提供曲であったために権利関係などの問題から「Tシャツに口紅」とともに収録が見送られたのではないか…、ということになります。


「 Dream Boy 」については、“選曲の必然性”という観点から考えれば、『NIAGARA SONG BOOK』(1982年)のときにレコーディングされた可能性が高いでしょう。

このときは、大滝さんの「Velvet Motel」が、この曲の原題である「Summer Breeze」というタイトルで収録されています。

「Velvet Motel」すなわち「Summer Breeze」は、もともとアン・ルイスへの提供曲として作曲されたのです。


一方、大滝さんのスキャットは、歌声の印象から、1990年代から2003年くらいまでの時期にオーバーダビングされたもののように感じます。


さて、この推理は当たっているのでしょうか?

いざ検証してみると、その道程は単純でなく、聴けば聴くほど、考えれば考えるほど、真相が霧の中に遠のいていったのです。

これから顛末を詳述しますが、時系列に整理した事項を参照のうえ、ご覧ください。



■『NIAGARA SONG BOOK』『NIAGARA SONG BOOK 2』にまつわる時系列の整理


・松田聖子 シングル「風立ちぬ」 1981年10月7日

・松田聖子 アルバム『風立ちぬ』 1981年10月21日
  「ガラスの入江」収録
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・ヘッドフォン・コンサート(渋谷公会堂) 1981年12月3日 

・アン・ルイス 『Cheek II』 1982年2月21日
  「Dreams」収録
  「Dream Boy」収録
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・『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』 1982年3月21日

・『NIAGARA SONG BOOK』 1982年6月1日
  「オリーブの午后」収録
  「Water Color」収録
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・「ALL NIGHT NIPPON SUPER FES '83 / ASAHI BEER LIVE JAM」 1983年7月24日

・「Tシャツに口紅」 1983年9月1日
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・『SOUL VACATION』 1983年11月1日

・『NIAGARA SONG BOOK 2』 1984年6月1日
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・東日本大震災 2011年3月11日

・『NIAGARA CD BOOK I』 2011年03月21日

・『NIAGARA TRIANGLE Vol.2 30th Edition』 2012年3月21日

・『NIAGARA SONG BOOK 30th Edition 』 2013年3月21日

・『NIAGARA CD BOOK II』 2015年3月21日



■検証1「“白い港”作戦」~音響技術から推理~

『NIAGARA SONG BOOK 2』は1989年にリマスターされ、曲の入れ替えが行われました。

このときのリマスター盤を、品番にちなんで“27DHの『NIAGARA SONG BOOK 2』”と呼びます。
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この“27DHの『NIAGARA SONG BOOK 2』”で初収録された「白い港」は、『NIAGARA SONG BOOK 2』用に新録されたものなのか、それとも、その2年前の『NIAGARA SONG BOOK』の時に「オリーブの午后」や「Water Color 」と一緒に録音されながらも、未発表のまま留め置かれていたものなのか。

この「白い港」の音を基準にして、「ガラスの入江」と「Dream Boy」が録音されたのは『NIAGARA SONG BOOK』の時なのか、それとも『NIAGARA SONG BOOK 2』の時なのかを探る、という作戦を考えたのです。

『NIAGARA SONG BOOK』と『NIAGARA SONG BOOK 2』とでは、録音方法も楽器編成も違うので、一目瞭然いや一聴瞭然で分かるはずだ!というわけです。

『NIAGARA SONG BOOK』(1982年)は、全てスタジオ録音の作品です。


『NIAGARA SONG BOOK 2』(1984年)は、少し違います。

リズム隊は六本木と信濃町のソニースタジオで録音されました。
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一方、ストリングス隊は千葉県浦安市文化会館大ホールで録音されました。
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『NIAGARA SONG BOOK 2』は、クラシック・コンサートのような自然なホールの響きを求めて、多額の費用と手間と人手をかけてホールで録音をしたのです。

ただし、浦安市文化会館は新しいホールでデッドな空間だったうえ、やや狭かったので、最終的なミックスのときにエコーを足した、とエンジニアの吉田保さんが明かしていました。


ここで、聞き分けるポイントを整理すると、以下のようになります。

  • 『NIAGARA SONG BOOK』(1982年)は、ハイファイ志向でツルツル、きれいなサウンド。
    アーリー・リフレクション(初期反射音)は、ほとんど感じられない。 

  •  『NIAGARA SONG BOOK 2』(1984年)は、左チャンネルのバイオリンを聴くと、ホールの壁への
    初期反射音が聞こえる。イージーリスニング系というより、ハリウッド映画のサウンドトラックのような、
    弦の擦れるざらざらしたサウンドが特徴的。EQは、ほとんどかかっていない。

以上のポイントを踏まえて聴いた結果、「白い港」の録音時期について、私なりの推論を得るに至りました。

ところが、ここから先、ことは容易には運びませんでした。


■検証2「サウンド&レコーディング・マガジン作戦」~古典資料から推理~

「白い港」作戦で検証を進めようとしたのですが、いきなりつまずきました。

今回の『 Happy Ending 』は、とにかくプリマスタリングが『NIAGARA SONG BOOK』や『NIAGARA SONG BOOK 2』の傾向とは違い過ぎるのです。

『 Happy Ending 』での「ガラスの入江」と「Dream Boy」は、オーケストラもの寄りのハイファイな音というより、ある程度の歪みも加えたポップス寄りな仕上がりになっているようです。

マスタリングの段階でのコンプも効いているし、音圧も上げてあります。

そのため、「ガラスの入江」と「Dream Boy」は、『NIAGARA SONG BOOK』や『NIAGARA SONG BOOK 2』のサウンドの傾向とは、明らかに違って聞こえてしまうのです。


謎を解明するための新たな糸口を求めて、 『NIAGARA SONG BOOK 2』発売当時のサウンド&レコーディング・マガジンを繰ってみると、興味深い記述が見つかりました。

写真とともに振り返ってみましょう。

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同誌によれば、浦安市文化会館でのオーケストラの録音は、1984年4月20、21日の2日間で行われたそうです。

4月20日の午後1時から9時までで5曲を録音、翌21日の正午から午後9時までで5曲の録音と「銀色のジェット」のダビングが行われて全てが終了。

ミックス・ダウンは、4月23日から5月2日までの10日間に、1日1曲のペースで施されたというのです。


注目すべきは、録音した曲は2日間の合計で「10曲」だと明記されていることです。

『NIAGARA SONG BOOK 2』の収録内容は、当初は以下の9曲で、加えて“27DHの『NIAGARA SONG BOOK 2』”で追加された「Bachelor Girl」を足すと、これでもう既に10曲

1.夏のペーパーバック
2.恋のナックルボール
3.ペパーミントブルー
4.木の葉のスケッチ
5.真夏の昼の夢

6.魔法の瞳
7.ガラス壜の中の船
8.銀色のジェット
9.レイクサイドストーリー
10.夏のペーパーバック (Reprise)


「ガラスの入江」も「Dream Boy」も、1984年の『NIAGARA SONG BOOK 2』の時の録音ではない、とあっさり判明したのです。

「白い港」も1982年の『NIAGARA SONG BOOK』の時に「オリーブの午后」や「Water Color 」と一緒に録音された、ということになります。

「Tシャツに口紅」に至っては、前述の「時系列の整理」を眺めていただくとお分かりのように、残念ながらレコーディング自体が行われなかったということになります。


「Tシャツに口紅」のソングブック・バージョンが存在する万に一つのケースとして考えられるのは、「真夏の昼の夢」が1982年の『NIAGARA SONG BOOK』の時に既に収録済みで、それに代えて「Tシャツに口紅」が10曲の新録音の枠の1曲だった、という場合です(理屈の上では「白い港」にも同じことが言えます)。

ただ、その場合、ホール録音を謳ったアルバム『NIAGARA SONG BOOK 2』のプロモーション・レコード「夏のペーパーバック/真夏の昼の夢」のうち1曲が、実は前回のスタジオ録り音源の使い回しだった、ということになってしまいます。

そんなことあるのでしょうか、いや、ありそうで怖い…。

これ以上、真相を追究してよいのやら…。



■「ガラスの入江」と「Dream Boy」についての結論は?

「ガラスの入江」と「Dream Boy」のレコーディング時期は、“消去法”でいけば1982年の『NIAGARA SONG BOOK』の時だったということになります。

時系列で見ても、つじつまが合っています。

この両曲が『NIAGARA SONG BOOK』のサウンドとは違って聞こえる原因は、マスタリングのせいだけではなく、大滝さんがご存命のうちにリミックスしていたせいもあるかもしれません。


2020年まで未発表だった理由は…。

「ガラスの入江」や「Dream Boy」は、2013年の『NIAGARA SONG BOOK 30th Edition 』や、2014年もしくは2015年にリリースされることのなかった『NIAGARA SONG BOOK 2 』の30th Edition のボーナストラック用に、寝かせてあったのかもしれません。

30th Editionどころか、40th Edition用に熟成させていたのかもしれませんし、プロモーション盤用のネタに温存しておいたのかもしれません。
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■スキャットの経緯は…

『NIAGARA SONG BOOK 2』のプロモ盤用に制作された「真夏の昼の夢(Promotion Version)」は、『NIAGARA CD BOOK Ⅱ』に収録の「Niagara Rarilities Special」でも聞けますが、ストリングスの響きにただよう大滝さんのボーカルが心地良いものです。
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「ガラスの入江」も「Dream Boy」も他人への提供曲で、大滝さんのボーカル・トラックはありませんから、「真夏の昼の夢(Promotion Version)」のようなものは作れません。

このため、将来のプロモーション盤用音源として、部分的にスキャットを入れるアイデアを、大滝さんは思い付いたのかもしれません。

その時期は、やはり、1990年代から2000年代の頭にかけての時期、種々のレコーディングで大滝さんがスタジオへ通っていた頃でしょうか。



■どんでん返しのサスペンスのように

ここまでで、極めて常識的で手堅い結論に到達しましたが、れんたろう探偵(*)の心の内は、事件が解決したのになんだかスッキリしない、そんな心境です。
(*注:今回のブログのタイトル参照)

結末にドラマが見えないのです。

ほんとは、もっと隠れたストーリーがあるのでは…。


たとえば、横溝正史原作のドラマ「悪魔が来りて笛を吹く」のラスト5分で、名探偵・金田一耕助

僕は重要なことを見落としていたのかもしれない(吉岡秀隆のイメージです)

と頭を抱えた後、フルートにまつわる小さなどんでん返しの謎解きが始まるように…。

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今回の『Happy Ending』は、『Ring-a-Bell』(1996年)~「幸せな結末」(1997年)~『PINUP GIRL』(1999年)~「恋するふたり」(2003年)の時期の“ナイアガラ・ワーク”を主に収録しています


「ガラスの入江」と「Dream Boy」のオケが、実はこの時期に密かに録音されていた可能性はゼロだと言い切れるのでしょうか?


『NIAGARA SONG BOOK 30th Edition 』を通して聴いたときに「幸せな結末」と「恋するふたり」は、他の曲たちとは異質に聞こえます。

『 Happy Ending 』の「ガラスの入江」と「Dream Boy」は、その「幸せな結末」や「恋するふたり」のサウンドの肌触りに近いように聞こえてしまうのです。

「ガラスの入江」の20秒~で聞こえるアコギの8ビートのストラム・サウンドは、「恋するふたり(STRINGS VERSION)」の1分33秒~と同じ…。

「ガラスの入江」の39秒~から挿し入るバイオリンのアンサンブルも、「恋するふたり(STRINGS VERSION)」(14秒~)っぽい…。


「ドリームボーイ」は、確かにフルートもアコギもエレピも『NIAGARA SONG BOOK』の「カナリア諸島にて」っぽい…。

しかし、1分18秒~のスキャットの箇所で、主旋律を奏でる楽器が不在になるのはまるで大滝さんのスキャットのために席を空けていたかのよう…
(「ガラスの入江」の2分6秒~で、スキャットがバイオリンの旋律をユニゾンでなぞっているのとは、異なっているわけです)


「ガラスの入江」と「Dream Boy」の“ラリラリ・スキャット”は、きっと、1997年の「ナイアガラ慕情」でのスキャットを契機にしたものでしょう。


この「ガラスの入江」と「Dream Boy」のスキャットは、1980年代に収録済みだったオケに後からオーバー・ダビングしたものなのか…、それとも、もしかして、オケ自体も「幸せな結末」から「恋するふたり」にかけての時期に新規に録音したのか…。


ナイアガラの謎は、深い霧の中へと包まれていくのです。

頭の中に鳴り響く“金田一耕助”のサウンドトラックとともに…。