幸せな最終回、Happy Ending
Happy Ending 全曲解説 その11
『Happy Ending』
アルバム『Happy Ending』全曲解説も、今回が最終回です。
ごあいさつは最終章で…。
ちょっとだけ長くなりそうなので、さっそく始めます!
第1章 「Happy Ending」
第2章 「幸せな結末」
第3章 青い空の下で
第4章 恋するナイアガラ
PCでの閲覧で、YouTubeの曲を最後まで聴いて画角が右ズレして左端の文字が欠けたときは、お手数ですがブログの再読み込みをお願いします
第1章 「Happy Ending」
ラストの曲、「Happy Ending」について、まずは整理したいと思います。
「Happy Ending」に似ている曲は、「幸せな結末」のソングブック・バージョンと、「ナイアガラ慕情」です。
このうち、「ナイアガラ慕情」は、他の2曲とは完全に別録りでキーも違うことを「ナイアガラ慕情とナイアガラー慕情」の回 で確認しました。
では、「Happy Ending」と「幸せな結末」のソングブック・バージョンでは、どこが違うのでしょうか?
これら2曲はキーもテンポも同じで、基本的な編曲も同じです。
曲長は「Happy Ending」のほうが2秒ほど長いです。
違いで一番分かりやすいのは、チェンバロの有無です。
「幸せな結末」のソングブック・バージョンでは、イントロやエンディングさらに曲の途中でもチェンバロが演奏されています。
おそらく、ストリングスや木管楽器とは別録りで、後からオーバーダビングしたのでしょう。
他方、「Happy Ending」ではチェンバロは鳴っていません。
チェンバロの有無という違いはあるにせよ、「幸せな結末」のソングブック・バージョンと「Happy Ending」の“プロローグ”は共通のものです。
曲の頭で約57秒奏でられる雰囲気満点なプロローグは、井上鑑氏の力作です。
問題はその後です。
ここで、皆さん、ナイアガラ・フォール・オブ・サウンド・オーケストラルの指揮者になって、タクトを振っていただきたいのです。
まず、「幸せな結末」のソングブック・バージョンでは、“57秒のプロローグ”と「♪ 髪をほどいたー」の旋律が始まる間に、1小節あります。
タクトを振ると、4拍とれます(2拍目の途中まで休符です)。
この1小節で、ティンパニーのロールとストリングスの駆けあがりとシンバルが鳴り、仰々しく盛り上がります。
その一方、「Happy Ending」では、“57秒のプロローグ”の後ろに「4分の2拍子」の「1小節」が挿入され、それに続いて「♪ 髪をほどいたー」のメロディの前に「ジャン、ジャーン」という演奏が「2小節」挟まれています。
タクトを振る場合は、“57秒のプロローグ”の後、「イチ、ニ」と数えながら…、間髪を入れず4拍が2回分振れます。
そのため、「Happy Ending」のほうが、2秒長くなっているのですね。
「Happy Ending」の「♪ 髪をほどいたー」のところから、クラリネット&フルートがリードを取っていますが、なんだか主旋律であるような、ないような、中途半端な印象です。
なぜならば、ここで本来、主旋律を演奏していたはずのストリングスをオフってあるからです。
クラリネット&フルートが演奏しているのは、対旋律やハモりのメロディなのですね。
「幸せな結末」のソングブック・バージョンのほうの「♪ 髪をほどいたー」以降のところを耳を澄まして聴いてみてください。
華やかなストリングスに隠れて、クラリネット&フルートがまさに「Happy Ending」と同じメロディを地味に演奏していることに気付くでしょう。
こうして、「Happy Ending」と「幸せな結末」のソングブック・バージョンという、微妙に異なる2つのバージョンが並存していることが判明しました。
では、その経緯は如何に?
可能性としては低いのかもしれませんが、“57秒のプロローグ”と「♪髪をほどいたー」の間の部分だけ、構成とアレンジを変えた上で、各々を通しで演奏したのかもしれません。
ありがちなのは、以下のようなパターンでしょうか。
最初は「ジャン、ジャーン」2小節入りで、かつ、「♪ 髪をほどいたー」からすぐにストリングスが主旋律を奏でるという、“両者のミックス・バージョン”でレコーディングされた。
ドラマの演出上の都合でドドーンと盛り上げるバージョンが最終回で必要になり、後から「ティンパニー、ストリングスの駆けあがり、シンバル」の1小節を追加録音して、つないで編集した。
「幸せな結末」のソングブック・バージョンが登場するのは、30秒から。
片や、「Happy Ending」のほうは徐々に盛り上げるバージョンにするため、「♪ 髪をほどいたー」の部分のストリングスはオフったのかもしれません。
この「Happy Ending」は、ドラマの第6話で使用されました(動画の36分50秒のところから曲が忍び入ります)。
第2章 「幸せな結末」
大滝詠一さんが「幸せな結末」(1997年)を作るにあたって大きく影響を受けたのが、映画『マディソン郡の橋』だったのだと思います。
『マディソン郡の橋』は、アイオワ州の片田舎で出会った平凡な主婦と中年のカメラマンの4日間の恋を描く、1995年の恋愛映画です。
恋愛の舞台だった1965年から時を経て、クリント・イーストウッドが演じるカメラマンの遺品から『永遠の4日間』という写真集が見つかり、そこから物語が過去へと展開していきます。
1997年秋期の月9ドラマは当初、田村正和と松たか子の主演で『じんべえ』が企画されていました。
大滝さんにしてみれば、もともと、『マディソン郡の橋』を観て感動の余韻に浸っていたところに、“中年の純愛風味”がテーマの『じんべえ』の主題歌の依頼が来たわけです。
大滝さんの構想では、主題歌のモチーフとして、『マディソン郡の橋』で流れるバーバラ・ルイスの「Baby I'm Yours」(1965年)に白羽の矢が立ったのでしょう。
その後、田村正和の降板でドラマは『ラブ ジェネレーション』へと企画変更されましたが、主題歌のプランはそのまま形になっていきました。
しかし、初期の筋立てと食い違いが生じたことから、大滝さんの作詞作業は困難を極めたのかもしれません。
映画では、1965年に遡ったシーンの冒頭で、ラジオから流れるランキングの10位がシャングリラスで、9位がバーバラ・ルイスの「Baby I'm Yours」だったのです。
この曲は、バートランド・バーンズの手によるオーケストラ・サウンドが特徴的です。
彼は、大滝さんの大好きなリーバー&ストーラーの後継者として1960年代、フィル・スペクターに匹敵する存在感を示していました。
大滝さんは「幸せな結末」のイントロで、バーバラ・ルイスの「Baby I'm Yours」の前奏のコード進行を引用しています。
FのコードからDm(ディーマイナー)ではなくD(ディーメジャー)へ進むところが非常に特徴的です。
また、大滝さんは「幸せな結末」のエンディングでも、バーバラ・ルイスの「Baby I'm Yours」を裏返しにして「♪ Baby you're mine 」と4回繰り返して歌いあげています。
「♪ Baby you're mine 」が4回なのは、まさに『マディソン郡の橋』で描かれる『永遠の4日間』の恋をイメージしてのことだったのでしょう。
1997月12月13日放送の「LOVE LOVE あいしてる」では、「幸せな結末」を松たか子が披露しました。
この時は、前出の動画、バーバラ・ルイスの「Baby I'm Yours」の41秒~のコーラスのフレーズが、そのままなぞって歌われていました。
この動画の「♪ 今夜君は僕のもの 」のリフレインの後、2分5秒~で聞けます。
全曲解説の「“今夜君は僕のもの”へ至る壮大なナイアガラ・サイド物語」の回 で記したとおり、主題歌のオケが完成済みだったところに「幸せな結末」という概念やタイトルを持ち込んだのは、作詞の共同作業をした永山耕三氏でした。
ですから、完全に後付けですが、結果として、「幸せな結末」で「♪ Baby you're mine 」と4回繰り返すところでは、はっぴいえんどのメンバー4人への想いを込めて歌えることになったと言えます。
1回目の「♪ Baby you're mine 」は細野さんかなぁ…とか、3回目でこぶしを回すのは大滝さんかなぁ…とか、そんなふうに考えるのもまた面白いものです。
はっぴいえんど といえば…。
5月の4週目にJFN系列で放送された『武部聡志のSESSIONS』という番組で、デビュー50周年の大滝詠一さんについて特集が組まれました。
番組の冒頭で武部さんは、 「'70年代のはっぴいえんどから現代に至るまで多くのミュージシャンに影響を与え続けています」と大滝さんのことを紹介していました。
まさにその通りで、大滝さんが偉大なのは後世に影響を与え続けているところです。
「幸せな結末」のリリースからちょうど20年後の2017年11月に、AKB48の50作目のシングルとして発売された「11月のアンクレット」で、「幸せな結末」のイントロが引用されたのです。
曲中で鳴り響くカスタネットも心地良いですね。
その前年からは、ダイハツ・ムーヴキャンバスのCMソングとして、稲垣潤一の歌う「夕焼けは、君のキャンバス」がお茶の間に流れるようになりました。
この曲のイントロは「幸せな結末」の前奏のギターソロのイメージになっており、曲全体も思いっきりナイアガラを意識して作られたのだそうです。
「夕焼けは、君のキャンバス」収録のアルバム『HARVEST』には、 「匠の名曲、ダンスが終わる前に」の回 に登場した平井夏美さん作曲の「週末のStranger…」も入っていて、これがまた超名曲なのです。
第3章 青い空の下で
CMソング といえば…。
1980年代には、この“ナイアガラ的なコード進行を使ったナイアガラっぽいCMソング”が制作されました。
CMの青い海や青い空の映像が、印象的だったものです。
1987年には尾崎紀世彦が歌った「サマー・ラブ」が作られました。
作・編曲は井上大輔さん、弦編曲などで前田憲男さんも参加しています。
1989年には、同じ路線で杉田二郎の歌う「サマーソング for you」が作られました。
作・編曲は馬飼野康二さん。ストリングス・アレンジは、なんと、Jimmie Haskell。
ジミー・ハスケル(Jimmie Haskell)は、なんといっても サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」 のストリング・アレンジメントが有名です。
そのジミー・ハスケルと大滝さんとの関わりの逸話が…。
朝妻一郎さんが2017年に 『大瀧詠一から亡くなる前に依頼されたこと』 というコラムを執筆していました。
同コラムによれば、大滝さんは亡くなる少し前に『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝』の資料集めのため、ジミー・ハスケルに連絡を取ってほしい、と朝妻さんへ依頼していたのですね。
『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝』を完遂できなかった大滝さんの無念さを思うと…、言葉がありません。
前述のラジオ番組『武部聡志のSESSIONS』に電話出演した松任谷正隆さんも、大滝さんについて、こう話していました。
「ポップスの図書館みたいな人。頭の中にこのポップスは誰がどうこう…みたいな、全部活字みたいな感じでインプットされているから。」
「青空のように」といえば…。
「 恋するふたり について知っている2、3の事柄 」 の回 では、「青空のように」のコード進行を使っている「恋するふたり」と、ボビー・ヴィントンの「ブルー・ヴェルヴェット」や「ブルー・オン・ブルー 」などの曲との関わりについて記しました。
ボビー・ヴィントンは、タイトルにブルーがつく曲ばかりを集めてアルバムを出しているほど、ブルーに縁があります。
「 恋するふたり について知っている2、3の事柄 」 の回 には、大滝さん自身が歌う「ブルー・ヴェルヴェット」の動画も追加掲載しておきましたので、あらためてご覧ください。
ボビー・ヴィントンの「ブルー・ヴェルヴェット」の次のシングルが、「ブルー・ファイア(There! I've Said It Again)」(1963年)であり、1964年1月のビルボード・チャートで1位を記録しています。
この「ブルー・ファイア」の直後に、チャートで7週間1位になったのがビートルズの「抱きしめたい」でした。
つまり、この時を境にして、王道のアメリカン・ポップスからブリティッシュ・インベイジョンの時代へと突入していったのです。
(「ブリティッシュ・インベイジョン」については、 ナイアガラ夜話の「ハートじかけのオレンジとビートルズ」の回 をご参照ください。)
まさに『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝』や『大瀧詠一のブリティッシュ・ポップス伝』に必出の曲が、ボビー・ヴィントンの「ブルー・ファイア(There! I've Said It Again)」だというわけです。
では、最後までお聴きください。
そうなのです…。
これ、大滝さんの「ナイアガラ慕情」なのです。
カバーではありません。
ちょっと似過ぎていますが…(笑)。
この曲は1941年に作られ、終戦の年に一度ヒット。
その後、 ナット・キング・コールのカバー(1947年) や、 サム・クックのカバー(1959年) がある他、ジュリー・ロンドンなど数多くの歌手に歌われているスタンダード曲です。
大滝さんは、スタンダード・ナンバーをカバーしてNo.1ヒットに仕立てたボビー・ヴィントンのバージョンを下敷きにして、「ナイアガラ慕情」を作ったわけです。
スタンダード曲の名カバーを下敷きにして名曲を作るという実践例は、ナイアガラで他にもあります。
「 FUN×4 」がそれです。
「弦とスキャットの謎に 迷探偵れんたろう が迫る」の回 で、「夢で逢えたら」の下敷きソング、「ぼくのパパ(My Dad)」を歌っていたポール・ピーターセンの「月光と水玉( Polka Dots and Moonbeams )」が、「 FUN×4 」の下敷きソングの一つなのです。
再生ボタン押下後、「この動画はYouTubeでご覧ください」をクリックして、“YouTube画面”でご覧になった後、また戻ってきてください(笑)
「月光と水玉」は、もともとはジャズ・オーケストラの専属シンガーだったフランク・シナトラが歌うために作られた曲です。
名曲であるが故に数えきれないくらいのジャズ・トリオ、ジャズ・コンボ、ビッグバンド・ジャズによってカバーされました。
大滝さんはその中でも、極上のポップスに仕立てたポール・ピーターセンのバージョンを引用したわけです。
名曲はカバーされても名曲で、上手くトリートメントすれば何度でもヒットする…。
1960年代のヒット曲として知られるポップスの名曲も、そのルーツとなる名曲が1940~50年代に存在する…。
このあたりのことを大滝さんは意識していたのではないでしょうか。
「君は天然色」にも、それは当てはまりそうです。
「君は天然色」の下敷きソングといえば、以下の2曲が有名です。
ピクシーズ・スリーの「コールド・コールド・ウィンター」 (1964年)
ゲイリー・ルイス&プレイボーイズの「涙のクラウン」 (1965年)
このパターンの曲はもう少し遡ると、ジョー・スタッフォードの「霧のロンドン・ブリッジ( On The London Bridge )」(1956年)に辿り着くのだと思います。
「霧のロンドン・ブリッジ」は、ソングライター・チームのティッパー&ベネット(Tepper-Bennett)によるスタンダード曲です。
彼らはエルヴィス・プレスリーに数十曲提供しているメイン・ライターでもあり、大滝さんからすれば、どストライクな作家といえるでしょう。
「霧のロンドン・ブリッジ」のカバーは世界中で数知れません。
日本でも、広田三枝子、美空ひばり、江利チエミ、伊東ゆかり、水前寺清子など多くの歌手に歌われています。
大滝さんが「君は天然色」の原曲を、女性シンガーの須藤薫へ提供しようとしたのも、こんな流れを思い浮かべれば合点がいきます。
また、「君は天然色」の元ネタはゲイリー・ルイス&プレイボーイズだろう、という単純すぎる指摘を大滝さんが常に否定していたことにも納得できます。
ブルーじゃなくて、エバーグリーン…。
時を経ても色あせない名曲を、大滝さんは自ら実践して私たちに示してくれたのですね。
第4章 恋するナイアガラ
前回の「別れの手紙、So Long」の回 で記したように、大滝さんがゲスト出演した2011年4月放送の「元春レディオショー」を聞いて、印象深かったもう一つの大滝さんの発言は、「リトル・リチャードのシャウトをポール・マッカートニーが受け継いでいる」というものでした。
私は、ハッとしたのです。
この番組を聴く数日前に、リトル・リチャード急逝の報道があったばかりでした。
その訃報を受けて、新聞の1面に載った コラム がこれでした。
私のアイドルのそのアイドルのそのまたアイドルを辿ると、そこにリトル・リチャードがいました。
振り返れば、私のナイアガラサウンド研究は、アイドルのアイドルを探す旅のようなものでした。
ふと、気付くとルーツ・オブ・ルーツに辿り着いていることもありました。
それでも、私のアイドル、大滝詠一さんの頭の中の1割、いや1%も覗けなかったような気がします。
さて…。
今回、『Happy Ending』全曲解説も皆さまのご支持のもと、無事に最終回を迎えることができました。
ほんとうにありがとうございます。
実は私、大滝詠一さんが亡くなった後、すっかり音楽から離れていました。
SNSで紹介される曲をネットで聴いたり、カーステレオでさらっと聴く程度でした。
『Happy Ending』全曲解説を始めてからというもの、大滝さんと同じCDプレーヤーの前に鎮座し、SONYの高級ヘッドフォン(笑)を装着して、久々に真剣に音楽を聴いてしまいました。
それを11週間続けたので、正直、ちょっと疲れました。
ウインター・スポーツ・シーズンの早期終了、在宅勤務、巣ごもり…。
こんな特殊事情がなければ連載は続けられなかったかもしれないと思うと、ちょっと複雑な心境でもあり…。
全回を読破してくださった皆さま、心より感謝申し上げます。
またいつかお目に、イヤ、お耳にかかるその日まで、So Long !