イスタンブール・マンボの大河ドラマ的ストーリー

Happy Ending 全曲解説 その5


『イスタンブール・マンボ』


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今回の目次を敢えて記すと、こうなります。

1.~1978年のストーリー~

2.~1960年のストーリー~

3.~2003年のストーリー~

PCでの閲覧で、YouTubeの曲を最後まで聴いて画角が右ズレして左端の文字が欠けたときは、お手数ですがブログの再読み込みをお願いします



1.~1978年のストーリー~






↑これは、「恋するふたり」のリリース直後の2003年5月30日に、いまお読みいただいているブログの本宅となるサイト「れんたろうの名曲納戸」へ、記事をアップしたときの『 What's New 』の記述です。


上記をクリックして、リンク先の記事を実際にお読みいただけたら、と思います。

(注:読み終わったら、ここへ戻ってきて、このブログの続きをご覧ください)(笑)


テレビ局に電話して、制作現場につないでもらい、「東京ラブ・シネマ」で流れる曲の謎が氷解した…。

そこまでは良かったのですが、私が記事をアップしたときには、「イスタンブール・マンボ」が既にバトンをえびボクサーへ渡してしまっていました。

そのため、ナイアガラ・ファンがあらためて「イスタンブール・マンボ」を聴き直すには、後から「東京ラブ・シネマ」のDVDボックスを購入するしかありませんでした。(余談ですが、この“えびボクサー”、実はエビではなくシャコです。)
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その後、2017年10月にリリースされた井上鑑氏の編曲作品集「Believing」には、「 Istanbul (Not Constantinople) / 大瀧詠一楽団 」が唐突に収録されました。

「イスタンブール・マンボ」のフルコーラスの音源が聞けるようになるまで、実に14年間待たなければならなかったのです。

ただし、このバージョンは「NIAGARA TV Special Vol.1」収録バージョンとは、ミックスがいろいろ違っています。

ドラムのフィルインから始まり、2番の主メロディは金山功さんのシロフォンが取っています。

大滝さんの「う~~、うっ!」と「申し訳ない」は入っているものの、その前でかすかに聞こえる大滝さんの発言は、なんと言っているのやら…。

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そして、ついに…。

『 Happy Ending 』で、大滝詠一さんのボーカル入りの「イスタンブール・マンボ」が、堪能できることになりました。


この「イスタンブール・マンボ」、2003年の3月28日にレコーディングされたものだとか。

大滝さんは、「恋するふたり」のレコーディングを同年の3月4日に行っていましたから、4月14日のドラマのスタートに向けて、「タイトルバック・バージョン」の仕上げに一意専心していたのかと思いきや…。


ドラマ前半のストーリーが、トルコ映画「バザールで恋買います」にちなむものだと知ると、大滝さんは「イスタンブール・マンボ」のアレンジを井上鑑氏へ“丸投げ”して、ドラマ初回放送の2週間前に意気揚々と歌っていた、ということになります。

実際のところ、「イスタンブール・マンボ」の大滝さんのボーカルは、「恋するふたり」のタイトルバック・バージョンよりも艶めいているように聞こえます。


「イスタンブール・マンボ」は、フォア・ラッズのヒット曲「Istanbul (Not Constantinople)」(1953年)がオリジナルです。

トルコの首都名が1930年にコンスタンチノープルからイスタンブールへ変わったことを受けて、

もうコンスタンティノープルへは帰れない、コンスタンティノープルは無いのだから

と歌ったものです。



「Istanbul (Not Constantinople)」は、音楽史の上ではとにかく有名な曲で、ルイ・アームストロング、ポール・アンカをはじめ、新旧多くのアーティストにカバーされています。

国内でいえば、ムーンライダーズや江利チエミ、柳沢真一のカバーもあります。

多くのカバー・バージョンも含めて大滝さんのアンテナに引っ掛かっていたのでしょう。


大滝さんは、ドラマ「ラブ ジェネレーション」のときに「True love never runs smooth」を提案したように、「東京ラブ・シネマ」では「イスタンブール・マンボ」の使用を発案したのだと思います。

ここで大胆な推論を…。

この「イスタンブール・マンボ」に取って代わられたのは、「飛んでイスタンブール」(庄野真代)だったのではないか?!



冒頭の「れんたろうの名曲納戸」(このブログの本宅のサイト)の記事では、ドラマ「東京ラブ・シネマ」の中でアリスの「チャンピオン」が流れたことにふれました。

また、『 Happy Ending 』全曲解説の前回(恋するふたり)では、円広志の「夢想花」が「東京ラブ・シネマ」の劇中で使われたことも紹介しました。

この2曲は、1978年に発売されたヒット曲なのです。

2003年のドラマ放送当時に、“古いニューミュージック”が流れたことに違和感を感じたものです。

そして…。

庄野真代の歌う「飛んでイスタンブール」が発売されたのも、1978年だったのです。

おそらく当初は、「東京ラブ・シネマ」の劇中、喫茶店内などで流れる曲としてさりげなく「飛んでイスタンブール」が頻繁に使われる設定だったのではないでしょうか。

その伏線を張るために、「チャンピオン」や「夢想花」が選曲されていたのかもしれません。

それを大滝さんが聞きつけ、「いや、もっといい曲があるよ」と「イスタンブール・マンボ」を推して…。

これは、あくまでも、私の深読みですが…。



2.~1960年のストーリー~


大滝さんは「イスタンブール・マンボ」のアレンジを井上鑑氏へ“丸投げ”したのではないか、と先に記しました。

ナイアガラ作品では「編曲:井上鑑」となっていても、その実態は、大滝さんがベーシック・トラックをヘッド・アレンジした後で、井上鑑氏が編曲した弦などの“うわもの”がダビングされる…ということのようです。

演奏のテンポ決めやカウント出しなどを大滝さんが直にすることも多かったのです。


一方、『 Happy Ending 』で聞ける「イスタンブール・マンボ」の冒頭では、村上“ポンタ”秀一さんが、「♪ワン、トゥー」とカウントを取っていたので、大滝さんの関与度合は低いのかと思ったのです。


ところがその後、「イスタンブール・マンボ」を聴き返して気づいたポイントが、二つありました。


まず一つ目は、この「イスタンブール・マンボ」は、劇伴用のインストゥルメンタル作品として制作されたものではなく、大滝さんのボーカルが主役になることを前提にアレンジされているということです。

しかし、「東京ラブ・シネマ」では、後に述べる“別の挿入歌”が先に決定していたため、大滝さんのボーカル入りの「イスタンブール・マンボ」は、ドラマ挿入歌としては見送られたのかもしれません。


ドラマ「ラブ ジェネレーション」で「Happy Endで始めよう」が採用されたときのようにもう1曲…、という大滝さんの思惑どおりにはいかなかったのでしょう。

大滝さんのプランでは、「イスタンブール・マンボ」のボーカル入りバージョンは、「恋するふたり」のシングルのカップリング候補曲だったのかもしれません。


「NIAGARA TV Special Vol.1」収録の「イスタンブール・マンボ(Inst Ver.)」を聞くと、主旋律を演奏している音色は、サンプリング音源の木管楽器系の音色を、キーボードで弾いているかのような印象です。

管楽器のタンギングにしては不自然な発音の長さや、木管楽器にしてはピッチがゆれなさ過ぎることなどから、そう思えてしまいます。

ボーカル入りバージョンではなく、インストゥルメンタル・バージョンの方の「イスタンブール・マンボ」がドラマで使われることになり、急遽、主旋律を後からダビングしたせいなのかもしれません。


そもそも、ソプラノサックス(またはピッコロサックス)の本物の音色は、「イスタンブール・マンボ」の間奏で聞けます。

主旋律を奏でている音色と間奏で登場する音色との“違い”は、聞けば歴然です。

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そして、もう一つのポイントこそが、その間奏部分なのです。

「イスタンブール・マンボ」の1番のボーカルと2番ボーカルの間奏に、大滝さんならではのアイデアが込められているのです。

つまり、井上鑑氏へアレンジを“丸投げ”したのではなく、重要な指示がなされていたということになります。


「イスタンブール・マンボ」の最後では、こんなやり取りが“敢えて”残されています。


申し訳ない…(笑) 」(大滝詠一)

いろいろ出ますねぇ」(吉田保)

いちおう、九ちゃんのシリーズで… 」(大滝詠一) 


大滝さんの「申し訳ない」というフレーズは、坂本九さんが、ダニー飯田とパラダイス・キングと関わりの深かった頃に出演した映画「パラキンと九ちゃん 申し訳ない野郎たち」にちなんでのものかと。

この映画の劇場公開日は1962年12月30日でした。

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いちおう、九ちゃんのシリーズで… 」という発言から、何テイクか録った「イスタンブール・マンボ」のエンディングでその都度、九ちゃんにちなんだ一言を大滝さんが発していたことがうかがえます。


なぜ、九ちゃんなのか。


それは、大滝さんが「イスタンブール・マンボ」の間奏(1分50秒~1分58秒)で、ダニー飯田とパラダイスキングの「悲しき六十才 Mustapha~ムスターファ」のイントロ(4秒~14秒)を引用しているからなのです。


「悲しき六十才」は、1960年当時、ダニー飯田とパラダイスキングのリード・ボーカルであった坂本九さんにとって初のヒットでした。

「上を向いて歩こう」(1961年)の前の年ということになります。

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「悲しき六十才」は、『坂本九オフィシャル・ウェブサイト』でも、大切な一曲として掲載されており、日本航空123便墜落事故の慰霊式での鎮魂曲にもなりました。


では、百聞は一聴に如かず、ということで、まずは音源でイントロなどをお聴きください。

49秒あたりからは、坂本九さんのリード・ボーカルが聞けます。


「悲しき六十才 Mustapha~ムスターファ」(1960年)


歌 :ダニー飯田とパラダイスキング

訳詞:青島幸男

作曲:アザム&バークレィ

編曲:ダニー飯田


「ムスターファ(Mustapha)」は、もともと1950年代にエジプトの学生達に歌い継がれていた曲で、ボブ・アザムとフランスのバークレー・レコードのエディ・バークレーが採譜、編曲。

ボブ・アザムが仏、伊、独、アラビア語で録音し、当時、世界各国でカバーされました。

「悲しき六十才 Mustapha~ムスターファ」も、そのうちの一つでした。

1960年に世界中でヒットした曲だったのです。

現在に至るまでに多くのカバーが生まれ、YouTube上でも数え切れない「Mustapha」が聞けます。

というわけで、ボブ・アザムのオリジナル・バージョンも聞いてみましょう。

 


ボブ・アザムのバージョンには、大滝さんが間奏に引用したフレーズが出てきませんし、もちろんトルコの風情を感じさせる要素はありません。

ダニー飯田氏はこの曲をカバーするにあたって、世界各国のカバーのうち、よりエスニックで異国情緒なものを参考にしたのでしょう。

もしかしたら、ダニー飯田氏のオリジナルなアレンジから生まれたフレーズなのかもしれません。


大滝さんにとっては、この1960年の「悲しき六十才」がエスニックでターキッシュな音楽の象徴的作品だったのでしょう。


ラジオ関東時代の「ゴー・ゴー・ナイアガラ」の第74回(1976.11.9放送)は、坂本九&弘田三枝子特集でしたが、「悲しき六十才」がオンエアされています。


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さらに、2001年12月29日放送の「大瀧詠一のスピーチバルーン」でも、大滝さんは「悲しき六十才」をかけ、ゲストの草野浩二氏へ坂本九さんのデビュー当時の話を詳しくインタビューしていました。

「悲しき六十才」は、草野浩二氏のディレクターとしてのデビュー作だったのです。

この回のテーマは「日本ポップスにおける洋楽カバー曲の変貌を語る」でした。


まさに、日本ポップスにおける洋楽カバー曲の変貌というの大きな流れの中で、大滝さんは、有名なスタンダード曲「イスタンブール」の途中に、有名曲「ムスターファ」のカバーの日本オリジナルの部分を取り込むという手さばきを見せたことになります。


この手さばきは、スタンダード・ナンバー「私の天竺 My Blue Heaven」(『 DEBUT AGAIN 』DISC-2 収録 )の間奏で、もともとはアメリカ民謡だった「峠の我が家」を登場させたときの大滝さん独自のインスピレーションと同じ、と言えるでしょう。


大滝さんの草野氏へのリスペクトな関係は続き、2009年7月に出た「萩原哲晶作品集」では、草野浩二氏が企画・監修を手掛け、大滝さんがブックレットの巻頭ライナーノーツを著していました。

ちなみに、草野浩二氏は、あの漣健児こと草野昌一氏の実弟です。

漣健児氏は、日本における数々の洋楽カバー曲で訳詞、作詞を手掛けたことで知られます。




3.~2003年のストーリー~


「東京ラブ・シネマ」の番組宣伝では「主題歌:大滝詠一、 劇中歌:バグルス」というのが売り文句の一つでした。

「東京ラブ・シネマ」DVDボックスでの宣伝文句は、以下のように謳われていたものです。

日本ポップス界の重鎮・大滝詠一が5年ぶりの新曲として放った主題歌「恋するふたり」と、 挿入歌として流れるバグルスの79年の大ヒット曲「ラジオスターの悲劇」が物語を盛り上げる!

2003年の春季ドラマ「東京ラブ・シネマ」では、1978年から1979年にかけて日本でヒットしたニューミュージックが挿し込まれる一方、1979年の世界的ヒット曲「ラジオスターの悲劇(Video Killed The Radio Star)」がメインの挿入歌として流れたのです。




このドラマの後に、ドラマチックな展開がありました。


1979年に「ラジオスターの悲劇」をヒットさせたバグルスのトレヴァー・ホーンは、その後、“80年代を創った男”と呼ばれるほどの世界的な音楽プロデューサーへと変身を遂げます。


そのトレヴァー・ホーンが、ある映画の音楽プロデュースを担当します。

2003年の『モナリザ・スマイル(Mona Lisa Smile)』が、それです。

ジュリア・ロバーツの主演で、『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』も手掛けることになるマイク・ニューウェル監督の作品です。

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トレヴァー・ホーンは、『モナリザ・スマイル』のサウンド・トラックで、映画の時代背景に合わせて、1950年代の、しかもエルヴィス・プレスリーのロックン・ロールが登場する前の時代を彩り、後にスタンダード化した曲たちを丹念に選曲しています。

その一つとして「Istanbul (not Constantinople) 」が選曲され、カバーされているのです。

トレヴァー・ホーン・オーケストラ名義の「Istanbul (not Constantinople)」では、なんとトレヴァー・ホーン本人が歌っています。

コーラスも本人歌唱の多重録音です。



『モナリザ・スマイル』がアメリカで公開されたのは2003年12月でしたから、「東京ラブ・シネマ」の放送終了後のことです。

日本での公開はさらに翌年、2004年8月のことでした。

大滝さんは、映画製作情報などを漏れ聞いて、あのバグルスのトレヴァー・ホーンが「イスタンブール」をカバーする、なんて話を耳にしていたのでしょうか?

それとも、単なる“偶然”なのでしょうか? 


そもそも、「ラジオスターの悲劇」をドラマ挿入歌へと提案したのは誰だったのか?

もしかして、これも大滝さんだったのでしょうか?


イスタンブールがコンスタンティノープルを消し去り、テレビオがラジオスターを葬った…。

そんな重層的な構図が大滝さんの頭の中にあったのでしょうか?


“日本ポップスにおける洋楽カバー曲の変貌を語る”ような仕掛けが「イスタンブール・マンボ」のほかに「恋するふたり」にも込められているのでしょうか? 

もしかして、漣健児さんにオマージュを捧げるような歌詞が含まれているのでしょうか?


考えだすと、謎はつきないのですが、ここで私は、「東京ラブ・シネマ」の後、2004年の新春放談で、大滝詠一さんが語った一節を思い出します。


必然というのは最初は偶然の仮面を被って登場する


さて、私、ナイアガラ作品の中でもメロディー・タイプの曲の研究が専門分野でして、どちらかというとノベルティ・タイプの「イスタンブール・マンボ」についての解説は、このあたりが精いっぱいのようです。
「申し訳ない…」

(結局、これが言いたかった)😃



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